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ない。どこにもない。僕の大切なあれが、どこにもない。
いつものお散歩コースも、大好きなリンゴの木の陰も、仲良しの茂田くんの家も、
全部探したのに見付からない。
まみちゃんには言えない。まだ嫌われたくない。
タイムリミットは明日の朝10時。切り株の前に、彼女が現れるまで。
もう一度、茂田くんに会いに行った。一緒に探してもらおうと思った。
茂田くんの家は、綺麗な魚をたくさん飼っている。
玄関に置かれている水槽を見るたび、自分が自分じゃなくなる感じがする。
僕は何をしに来たのかも忘れて、何も考えられずに、水槽に顔を近付けてしまった。
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突然、目の前が真っ暗になった。
誰かに耳をふさがれている感覚がする。
体が宙に浮いているような気がして、怖くて目を開けられない。
そう、僕は目を閉じている。じゃあ開ければ良いんだ。
そっと目を開けると、何かが僕を見つめていた。
「大丈夫か?」
恐ろしい顔をした何かが言った。
見覚えのある刺青をした彼は、
僕が何とか頷くのを確認すると、どこかへ向かって歩き出した。
僕は吸い寄せられるように、彼の後を付いて行った。
彼は少し、歩幅を狭めた。
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角を曲がると、美しい青い世界が目に飛び込んできた。
レンガの家に、ビンのビル。
色とりどりの木々は風に揺れ、空にはシャボン玉が浮かんでいる。
「うわあ…」
思わず感嘆の声を上げた。
と同時に、僕の口からシャボン玉がいっぱい溢れて、空に消えていった。
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「あんた、探し物をしに来たんだろう」
傾いた簡素な家の前で止まると、ぶっきらぼうに、彼が言った。
何だか怒られているような気になって、僕はあわてて気を付けをした。
探し物があるのに探しに行かないなんてと、責められている気がした。
「ごめんなさい、坂田さん!僕探しに行ってきます!」
とにかくその場を離れたくて、逃げ出すように走り出した。
坂田さんが何か言いかけた気がするけど、聞こえないふりをして。
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こんなに大きな世界で、あんなに小さなものが見付かるのだろうか。
当てなんかないけれど、とにかく歩いてみることにした。
ビンの欠片の下、柔らかい木の陰、綺麗な敷石の隙間。
ここはきらきらしているものが多すぎて、探すのが大変だ。
空を見上げて、ため息をついた。
細かくてきらきらしたシャボン玉が、青い空に吸い込まれていった。
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誰か居る。話し声が聞こえる。彼らはあれを見かけていないだろうか。
少しでも可能性があるなら、何でも試してみたかった。
「こんにちは」
「なんだおまえ!あやしいやつ!」
「あやしいやつ!あやしいやつ!」
彼らは僕を見るなり、武器を手に襲いかかってきた。
どうやら話を聞いてくれる気は無いようだ。
やめてくれと頼んでも、いくら暴れまわっても、放してくれそうにない。
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「じょおうさま、あやしいやつです!」
「あやしいやつ!あやしいやつ!」
鋭い光の洪水が僕の目を襲う。
真っ白な空間に、美しいシルエットが浮かぶ。
振り返った彼女は冷たい目をしていて、僕の心臓は跳ね上がる。
動かない手足と、出ない声。
自然と首が横に振れ、美しい彼女から怖くて目が離せない。
彼女は一言も発することなく、僕の運命を決定した。
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このままだと、まみちゃんや茂田くんに会えなくなる。
パパやママやお兄ちゃんに、もう二度と会えなくなる。
さっきとは違うところで、恐怖を感じた。
だれか、たすけて。
声にならない僕の叫びは、泡になって宙に消える。
助けてくれる人なんて、ここには居ない。
自分を守れるのは、自分だけだ。
動かない体にムチを打って、必死で縄を引きちぎろうとした。
抱えられていた僕は、無様に地面を転がっていく。
涙が鼻の穴に入って痛い。
這いつくばる僕に、たくさんの兵士が飛びかかる。
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どうしてこんなことになってしまったんだろう。
僕はただ、まみちゃんからの大切なプレゼントを探しに来ただけなのに。
足首を固定していた縄が切れた。
重なる兵士たちを蹴り飛ばして、ぐちゃぐちゃに暴れた。
絶対諦めたりなんかしない。
ここから逃げて、皆に会いに行くんだ。
手首を固定していた縄が切れた。
無意識に伸ばした手に、ぬるっとした感触がした。
「坂田さん…」
僕が呟くと、兵士たちの動きが止まった。
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坂田さんは僕を立ち上がらせると、手首を優しく撫でてくれた。
兵士たちは、動かないまま僕たちを見守っている。
坂田さんの目は、まっすぐに女王さまを捉えている。
二人は見つめ合ったまま、動かない。
ふと、彼女が目をそらした。
それが合図だったかのように、兵士たちは僕への興味を失ったようだった。
坂田さんが僕を抱き上げて、一言、悪かったな、とだけ呟いた。
僕は何が何だかわからなかったけど、
何も言えないまま、坂田さんの家まで連れていかれた。
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坂田さんは堅いイスに僕を座らせると、ココアを淹れてきてくれた。
まるで頑張った僕へのご褒美かのように、それは甘くて美味しかった。
「あんたが探しに来たのは、あれなんじゃないのか」
唐突に坂田さんが言った。
あごで指された壁を見ると、綺麗な銀色のフラフープが立てかけてあった。
「知らないよ、僕」
「よく見てみろよ。もう立てるだろう」
言われるがままにフラフープに近寄ると、見覚えのある繊細な装飾が目に入った。
「遠いところまでご苦労さん。それ持って早く帰れよ」
彼は横を向いたまま、タバコに火を点けた。
「ありがとう、坂田さん」
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そう言い終わるのと、茂田くんの声が聞こえるのとでは、どっちが早かっただろう。
気が付くと僕は、茂田くんの家の玄関で、水槽にへばりついて立ち尽くしていた。
「ユウジ、お前本当にうちの坂田が好きだね」
いくらへばりついて見つめたって、食べさせてやんねーよ。
彼はそう言って、ちょっと大人びた顔で笑った。
「あれ?ブレスレット見付かったんだ。良かったな、まみちゃんに殺されずに済んで」
僕は左の手首を見た。そしてもう一度、感謝を込めて水槽を見た。
ただ美味しそうとだけ思っていた姿は、
今まで気付かなかったのが不思議なほど、優雅で美しかった。